特集=瀬織津姫神と遠野について



風琳堂主人


▲早池峰山(右奥)と前薬師(薬師岳)
    
▲遠野三山の三女神像(伊豆神社所蔵)
    
■大昔に女神あり
 四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯[はやちね]という、北の方附馬牛[つくもうし]の奥にあり。東の方には六角牛[ろっこうし]山立てり。石神[いしがみ]という山は附馬牛と達曾部[たっそべ]との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来たり、今の来内[らいない]村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫目覚[めざ]めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもうゆえに、遠野の女どもはその妬[ねた]みを畏[おそ]れて今もこの山には遊ばずといえり。(『遠野物語』第二話、『柳田國男全集』所収)
 ここには、遠野三山と呼ばれる早池峰山、六角牛山、石上(石神)山に「若き三人の女神」が住んでいる(「領したもう」)とある。また、その「三人の女神」の「母の神」は「今の来内[らいない]村の伊豆権現の社」に留まったとされる。
 早池峰山は早池峰神社、六角牛山は六神石神社、石上山は石上神社、そして伊豆権現社は現在の伊豆神社と、それぞれの神の拝所・祭祀場としての神社が現在もある。
 昭和十四年に発行された『岩手県神社事務提要』(岩手県神職会)には、上記神社がまつる神々は、次のように記録されている。

■遠野三山の神々と「母の神」の社
早池峯神社……瀬織津姫命
六神石神社……大己貴命、誉田別命
石上神社 ……経津主命、伊邪那美命、稲蒼魂命
伊豆神社 ……瀬織津姫命

 遠野三山には「若き三人の女神」がいると記していた『遠野物語』だったが、六角牛山からは「女神」の存在は消えているようである。また、石上山にしても、「伊邪那美命」はたしかに女神だが、伊豆神の娘神とは認められないので、この山からも、物語の女神は消えているとみてよい。残るは早池峰山で、この早池峰山神と伊豆神として記載される「瀬織津姫命」という神が、この「特集」の中心となる女神である。

▲早池峰霊峰全図(伊豆神社所蔵)
    
「瀬織津姫命」を共通してまつる早池峰神社と伊豆神社だが、両社の関係について、『遠野市史』は、次のように記している。

■伊豆神社は早池峰神社の「親神」
 三山発祥地は市内上郷町来内とし、早池峰山新山宮神社(現在の早池峰神社…引用者)では、来内の伊豆権現社(現在の伊豆神社…引用者)を親神と呼び、この別当が到着しなければ祭りはできないという掟[おきて]があった。(『遠野市史』第一巻)

 早池峰神社が伊豆神社を「親神」としていることについてだが、これが神々の「親子」関係をいっているのでないことは、両社ともに祭神を「瀬織津姫命」としていることからもわかる。早池峰神社は伊豆神社がまつる神の分身=分神、あるいは分社だということであろう。いいかえれば、伊豆神社は、早池峰神社の元社、親社だということである。
 ここで、伊豆神社側の由緒を読んでみる。

■伊豆神社「由緒」
神社名 伊豆神社
鎮座地 遠野市上郷町来内六地割三十二番地ノ二
祭 神 瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト) 俗名 おない
    遠野三山(早池峰山、六角牛山、石上山)の守護神の親神
例祭日 旧暦九月十七日、現在では十月の第四日曜日と改められた。

 坂上田村麻呂が延暦二年(西暦七八三年)に征夷大将軍に任命され(「任命」は延暦十六年=七九七年…引用者注)当地方の征夷の時代に此の地に拓殖の一手段として一人の麗婦人が遣わされ、やがて三人の姫神が生まれた。三人とも、高く美しい早池峰山の主になることを望んで、ある日この来内の地で母神の「おない」と三人の姫神たちは、一夜眠っている間に蓮華の花びらが胸の上に落ちた姫神が早池峰山に昇ることに申し合わせて眠りに入った。夜になって蓮華の花びらが一番上の姉の姫神に落ちていたのを目覚めた末の姫神がみつけそっとそれを自分の胸の上に移し、夜明けを待って早池峰山に行くことになり、一番上の姫神は六角牛山へ(石神山へとの説もある)二番目の姫神は石神山へとそれぞれ別れを告げて発って行った。此の別れた所に神遣神社を建立して今でも三人の姫神の御神像を石に刻んで祀っている。
 大同年間(八〇六─八〇九年)早池峰山を開山した四角藤蔵(後に始閣と改めた)が来内権現の霊感を得て故郷の来内に戻り、自家の裏に一草堂を建てて朝夕これを崇拝したとのことである。当時この話を聞いた伊豆走湯関係の修験者がはるばる此の地に来て権現の由来を基に獅子頭を御神体として奉ったものである。故に伊豆大権現と称され千二百年以上にわたり広く信仰を得て来たものなり。明治維新後に伊豆神社と改めて現在に至っている。〔後略〕
平成四年八月記 伊豆神社 宮司 中田一正


 伊豆神社のこの由緒書では、『遠野物語』第二話の「大昔」の女神は「おない」という「俗名」をもつ女性とされ、しかも、この女性は、坂上田村麻呂によって遣わされた「拓殖」の「麗婦人」というように、神ではなく人間扱いされている。瀬織津姫神が「おない」という「俗名」をもっていたというのは、この「おない」という女性の信奉する神が瀬織津姫神だというように理解できる。早池峰山の開山者としての四角(始閣)藤蔵の前に、田村麻呂伝承を置いていることが、この由緒書の大きな特徴であろう。
 多くの神社の由緒書にいえることだが、明治期の国家神道勃興時に、それまでの社内伝承を汲みつつも、国策的神道に迎合するように新たに創作的につくられた由緒書が多いことに留意する必要がある。そういった視点からいえば、伊豆神社由緒書に記された田村麻呂伝承は文字通りの「史実」とみなすことは危険かもしれない。ただし、遠野郷に限れば、伊豆神社の祭神が「瀬織津姫命」という神である事実のみは肯定することができる。理由は、この神が神社祭神として表示されることは、全国的には例外に属することだからである(東北の山深い小神社ゆえに、この神の名はかろうじて伝えられたといってよい)。

▲伊豆神社拝殿
    
 神社伝承における、その祭祀経緯の最初に坂上田村麻呂をもってこずに、あくまで四角藤蔵による祭祀を語るのが『遠野市史』である。市史は、三女神伝説を紹介したあと、次のような藤蔵創祀説を展開している。

■伊豆権現は四角藤蔵の「守り神」
 この女神たちの泊った宿は、当時来内村といった現遠野市上郷町来内の伊豆権現社である。伊豆権現は、早池峰を開山した猟師藤蔵が、故郷の伊豆から持ってきた守り神である。藤蔵は、太平洋沿岸沿いに北上し、この来内に居を構えた、という。
 現在、この地には三人の女神が生まれたお産畑、お産田が残っている。田は五角形で、女が田植えをすると雨が降るといって男が田植えをする。一坪(三・三平方メートル)くらいの小さな田で、不浄であってはならないと肥料はしないし、田植えの時も畦[あぜ]から苗を三把ずつ植えて内に決してはいらない。この田からとったイネで餅をつくり、大出の新山宮(現在の早池峰神社…引用者)に供え、余りはお守りとして各戸に配っている。付近には、このほか襁褓(おむつ)を干したという三国という名の岩、藤蔵の屋敷跡、後代に造った墓なども残っている。(『遠野市史』第一巻)

 市史は、伊豆権現=伊豆神を四角藤蔵が「伊豆から持ってきた守り神」とし、田村麻呂伝承は無視するという姿勢で書かれていて、これはこれで卓見かとおもえる。また、伊豆権現にまつわる禁忌の象徴といってよい、つまり「不浄であってはならない」という禁忌事項を核とした田植えの伝承も収録していて興味深い。伊豆権現としての瀬織津姫神が「不浄」を嫌う神だという認識は、この神が大祓神として設定されたことを受けたものであろう。
 この市史の記載から、その社名(伊豆神社)にも表れていたが、四角藤蔵なる人物が「伊豆」と関わりある人物だということがわかる。ここで、「伊豆」とはなにか、という問いが当然に浮かんでくるし、瀬織津姫という神はなぜ「不浄」を嫌う神とされるのか、それはいつからそうなのか、という問いなども連鎖的に浮かんでくる。さらに、瀬織津姫という神はそもそもどういう神なのかという根源的な問いもあろう。こういった問いの連鎖と深化に答えようとするのが、本特集と関連書籍3冊ということになる。
 なお、『エミシの国の女神』においてすでに指摘されていた、この瀬織津姫という神の多彩な性格を以下に列挙しておこう。

一、水源神・滝神・川神、桜神であること。
一、皇祖神=アマテラスの祖型神であること。
一、東北においては、オシラ神(オシラサマ)やザシキワラシなどと習合する神であること。
一、神仏混淆においては、不動尊および十一面観音と習合する神であること。
一、日本の神道(神社世界)においては、大祓の神(祓戸大神)とされること。
一、三河地方においては、天白神とみなされていたこと。
一、ヤマトの中央権力側は、この神を「祟り神」「禍津日神」(悪神)とみなしていたこと。

 その他、『円空と瀬織津姫』上下巻において新たに判明したこと、あるいは可能性が濃厚であると認められることを挙げておくなら、下記の性格事項があるだろう。

一、蝦夷地(北海道)・東北から列島各地の山岳霊地に、広範囲な祭祀が確認できること。
一、弁才天(弁財天)と習合する神(宗像神=八幡比売大神)であること。
一、三途川の姥神(脱衣婆)とも習合する神であること。
一、琵琶湖の水神、大祓の基層神であること。
一、月神であること。
一、日本文学の発生と根源に関わる神であること。

 主要なことは以上かとおもう。これほど多くの性格・表情・特質をもっている瀬織津姫という神だが、これまで、学問の世界ではまともに論じられることがなくてきた、稀有の秘神、おそらく、日本の神々の歴史上、最大最後の謎を秘めている神といってもよかろう。
 遠野郷を擁する岩手県は、この異端の姫神といってよい瀬織津姫神を神社祭神としてまつることにおいて全国一で(現在確認社は36社)、遠野物語の里は瀬織津姫神の里でもある。
 瀬織津姫という神の祭祀にまつわる一つの謎が解明されると、その先にまた新たな謎がみえてくる。この謎解きが終点を迎えたとき、おそらく、日本の神々の祭祀の歴史は大きな転換期を経験することになるはずで、要するに、神々にとって、とても風通しのよい場所・世界が開かれることとおもう。
 遠野郷の伝承が、日本の神まつりと文学の発生・基底を照射する光源であることをおもいつつ、この特集が読者の新たな知的関心と共有されることを願っている。
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